純正律とは何か~まずは弦を整数比で分割するように目印を付けるべし~

これは、自分が持っている中国製の「二胡(にこ)」の写真である。

二胡の写真(無断転載すると呪われるかもよぉ(爆))

 

白い目印が付いているのが分かるであろう。この目印は、市販の修正ペンで付けたものである。

どのように付けたかと言うと、最初に弦長をメジャーで図る(「この例では確か〇〇〇mm」って補足しようとしたとたん、メジャーが見つからない(号泣)! だからヤなんだよ、この地球世界で生きて行くことは面倒くさいったらありゃしない!!)。次に、弦の長さの1/2,1/3,1/4、1/5,・・・というように、弦を整数比で分割する地点「に対応する」柄の部分に、目印を付けるのである。

 

 この例では修正ペンで目印を付けたが、テープなどを使っても良い事は勿論である(が、念のために書いておいた方が良いだろうから書いているだけである。要するに、目印になるものであれば、何でも良いのだ。(あぁ本当、面倒くさぃ!))。

 このような目印を付けておくことで、左指を触れる「位置」が安定し、ひいては音程が安定し、正確な音程が(ぐうたらと適当に弾いている人よりかは)早く安定して出るようにな【るはずであ】る(←少なくとも自分はそうだった(きっぱり!!))。

 なお、例え若干ずれた場所に目印を付けてしまった場合でも「そこから〇mmくらいずれた所を抑えればOK」ということが感覚的に分かるので結果オーライである。こういう「小さい工夫」を積み重ねていくことで、楽器の練習が楽しくなり、「音が苦」から速やかに脱却し「音楽」へと昇華することが相対的に早くな【るはずであ】る。

 少なくとも私の経験では【そうだった】ので、このように書かざるを得ない。

 ついでに(笑)ギターも載せておこう(爆)

この写真は無断転載厳禁!! 無断転載したら呪われますので(爆笑)

なお、この写真の転載は厳禁だけど、フレット位置につき【参考にして自分のギターにも取り入れる】とからならば全然OKですので。むしろやって下さい。どんどん実行してください。

 何事も【(とりあえず)実行すること】が大事なのです。

以上。

 蛇足(別名デス・メッセージ):「純正律は不可能」とか言っている奴はどこぞの馬鹿者だ? そんなんじゃ、あの世に逝って激しく後悔するぞ!! アンタの行動は全部アカシックレコードに記録されているんだらな!! を知れ恥を!! 純正律が「可能」であることなんざ、【分割鍵盤】の例を挙げるまでもなく「可能」なのだから、そんな「周知」事項も知らない(かのごとく振舞う)奴は「羞恥」人だ。これからはアンタの事を「羞恥人」と呼ぶことにする(きっぱり)!!

 (ひそひそと呟かれるどこぞの声:Aさん「ねぇねぇ、「アンタ」って誰のことかしら?」 Bさん「さぁねぇ、12ETの「ET」って地球外生命なんでしょ? ならば「アンタレス星人」とか?」 ABさん「あははは、マジ受けるぅ!!」

重要な情報ほどネット検索しに行くのに「圧」を感じるのは何故なのか? 深すぎて理由が分からない。

これを書いていた昼休み、本当は某Eラーニングをする「べき」だったのかも知れないが、最近、標記事項について無性に考えたくなってしまったので、日記として書かざるを得ない(こうしている間にも指がどんどん動かくなっているのが分かる。何故に? 昼休み中なのに??)

(中略)

具体例:現職場のトップの「生年(←西暦)月日」情報をどこからともなく(?)入手し、任意の動物占いのサイトにかけて調べてみた。

その結果、「物静かなペガサス」であることが判明した。ちなみに生年月日情報を入手してからサイトにかけて調べるのに、結構なタイムラグがあった。それまでは動物占いは重要情報でないと思ったのであろう、おそらく、多分。だが今は(生々しいため割愛)。

 動物や星座など占いに関する私的に(素朴に)疑問なところは、生まれた時間がいわゆる臨界値だか閾値だかの、「例えば最終日と新たな次の日とのギリギリの時間の場合、(動物や星座が)どっちになってしまうのであろうか?」という事である。
 もしかしたら「両方の性格を有する人になる」のかも知れないが、良く分からない。有名な占い師などに聞いてみた方が良いのかもしれない。

 (中略:この話をすると、それこそ無限に書けてしまうので、この辺で一旦やめる。)が、実家の母に電話して、私が生まれた正確な時間および場所(番地まで!)を聴き出した方が良いと(も)思える(※注0)。
 ちなみに実家の家族は「2回打った人」であり、そのときは「(少なくとも)2回打つまでは家に入って来るな!!」と(電話で強く)言われた時から、あまり連絡をとっていない(注1)。

 地獄かよ、この世界は!!!!

デス・メッセージ:(生々しいので割愛)

余談:かつての職場のW氏は、筆者と同じ誕生日だから動物が判明しやすいはず・・・あれ、何歳差だったっけ?? 

 

(注0)実際に電話を掛けて訊いてみた。自分が生まれた時間帯までは聞けた。番地までは覚えていないようだった。

(注1)実家の家族は全員3回目も打ったようだ。

 

2022年5月23日初稿

同年7月10日:推敲(世界発信のため大幅削除および上位概念化)完了

バロック後期の少なくとも鍵盤楽器においてなされた12ET論争の実態とは?

例えば下記のサイトの内容を俯瞰的に参照すると分かるように、

12平均律について:ミーントーン大好き!~音程は自分で作ろう~:So-netブログ

 少なくともバロック後期以後の音律論争では、12等分平均「率」(←律でなくて「率」の方が実態に合っているだろう。)を、(例えば鍵盤楽器等における)「標準とするか否か」の論争ではなくて、【許容するか、否とするか(=排斥するか)】をめぐる論争であったことが伺えるであろう。

 もぅ少し具体的に書くと、上記の12等分率(以下、12ETと称する)は、少なくともバロック後期においては、数多くの、それこそウンザリするほど沢山考案された数多くの音律の中の、ホンの一例に過ぎなかったのである、。

 この12ETは、18世紀の末の大量生産時代だか軍国主義時代だか帝国主義支配下だかの時代背景とやらの責め苦にあって、高名な音楽家や数多くの有識者の見解(反対意見)を無視(強硬に無視)して、強引すなわち無理やりに「標準」とされてしまったモノ(いわば怪物)であると考えられる。

 現代においても、この怪物すなわち12ETは、未だに生き残っており、より皮肉的に表現すると、他の正常な音「律」を排斥し続けている、というのが実情である。
 一方、12ETの「イデア(理想状態)」は全く使い物にならないことが音楽関係者の間では「周知」のようだ(いわゆる業界周知事項、言い換えると、知らない業界人は「羞恥」ということでもある)。このため、例えば電子ピアノであれば、上記「理想状態」からは適当に外れるように「適度に崩した」調律を「平均律として」使うのが「現代の常識」なのですって。
 あっはっは、これには大笑いですね。思わず大笑いしてしまう以外に思い浮かばないですよね。

以上、俯瞰的な考察終わり。

 

For example, if you look at the contents of the following site from a bird's-eye view, you can understand the following;

 At least in the temperament debate after the latter half of Baroque, the 12 equal temperament "rate" (← "rate" is the actual situation, not the temperament) is not the debate about "whether or not to make it a standard" in keyboard instruments, for example. If you are an expert, you can tell that it was a dispute over "whether to allow or disallow (= exclude)".

https://meantone.blog.ss-blog.jp/archive/c2301159250-1

To put it a little more concretely, the above 12 equal temperament (hereinafter referred to as 12ET) is just one example of a method among many temperaments that have been invented so much, at least in the late Baroque.

This 12ET was, so to speak, "forcibly" made "standard" due to the background of the era of mass production at the end of the 18th century, the era of militarism, or the rule of imperialism. The 12ET has been made "standard", completely ignoring the dissenting opinions of renowned musicians and many experts.

 Even in modern times, this monster, that is, 12ET, still survives, and more ironically, it continues to reject other normal temperaments.


On the other hand, the "ideal state" of 12ET is completely useless. Therefore, for example, in the case of an electronic piano, it is a modern common sense to use the tuning "moderately broken from 12ET" as an equal temperament so as to deviate appropriately from the above "ideal state".
Ahaha, this is a big laugh. I can't think of anything other than making a big laugh.

This is the end of the bird's-eye view.

昔話(弁※士という職業の話)

 昔々、ある国の難関国家試験を突破した職業として、弁〇士(以下、「第1の国家資格保持者」と称する)と、弁※士(以下、「第2の国家資格保持者」と称する)と、がありました。

 ある国では、昔から第1の国家資格(者)は有名であり、報酬(以下、賃金と称する。)も高いものでした。それに対して、第2の国家資格(者)は、社会的知名度が物凄く低いものであり、賃金も低く抑えられる傾向がありました。

そのため、第2の国家資格保持者は、第1の国家資格保持者(以下、区別を容易にするため「第1のそれ」と略称することがある。)に対して劣等感を抱く人もおり、「くそぅ俺も第1のそれになってやる」と頑張る人も実際におりました。ですが、仮に第1のそれになったとしても、幸せになれるとは限りません(きっぱり!!)。 なぜにきっぱりと断言し切っているかと言うと、もしかすると筆者の身近な人に第1のそれの人がいるからです。

 さらに、第1の国家資格保持者は、指導者から「アナタはエリートなんだ!!」と鼓舞されて教育されておりました。そのため、第1のそれは、(以下略)いばって(←略、略だってば!!)。一方、第2の国家資格保持者は、指導者ひいては周りの人から「資格なんて通過点に過ぎない」、「この仕事は一生修行なんだ」、「弱い者虐めをしてはいけない」、など、散々に厳しいことを言われておりました。

 あるとき、多くの第2の国家資格保持者が一斉に「気付き」を得ました。あれ? これって資格の取り損なんじゃないか?と。 

 (※生生しいので凄く中略) 

 なお、一つだけ推測できるかも知れない事項があります。「果たして死んだ後にどちらがより良い所に逝けるのか?」について。

 誰と誰とを比較しているのか、それは読者様の想像力に委ねられるのです。

個人情報保護強化によって我々に何の利益があったのか?

自分が子供の時代には、例えば漫画家の先生の住所などは雑誌等に堂々と掲載されていた。任意の団体(例えば○○大学○○クラブOB会)の名簿も、冊子(以下「紙面」と称する)の形式で個々人に配布されていた。

(中略)

 この個人情報保護法の施行により、例えば上記の任意の団体の紙面による名簿が無くなり、代わりにデータベース化されて個人情報の管理が管理者の手に委ねられ、最後には個人のデータが重要機密情報として、クラウドにより一元的に管理されるに至った。(中略)

 個人は、他の個人の情報に一層アクセスしにくくなり、一人一人の「孤独感」が増大して行った。一方で、ハッカー等により、個人のデータ(重要機密情報)は、ときおり流出された。流出された個人のデータ(重要機密情報)は、「どこに」流出されたのだろうか? おそらくという憶測を交えてだが、だれもが直ぐに思い浮かぶ推測事項としては、商用業者(いわゆる名簿屋さん)に売られた、ということだろうが、(中略)・・・のように、いわゆる「性悪説」に立てば、そういった事が必要となろう。だが、事実はどうだ? 「性悪」なのは金儲けを企てる業者側であって、我々個人側は「性悪」なのか?(確かに且つてはそういう輩が居ただろう、だが現在は?)。

 かくして、個人のみならず、任意の団体をも含む情報保護の余りのエスカレート振りに、個人側が「本来無用な不利益を被っていないか?」について、そろそろ考え直しても良い時期に来ているのかも知れない【し、インスタグラムやフェイスブックなどで個人レベルでは個々人(および身内や友達等)の情報を(しかも画像で)出しまくっている現状に鑑みるに、考え直す時期には未だ来ていないのかも知れない】。

 いずれにしても、某○○大学の某倶楽部の夏合宿の発表会に(超)久しぶりに参加しようとした筆者が、同倶楽部の部長(現在は「代表」と称するらしい)に尋ねたところ、「場所、期間、発表会の日、のいずれも未だ通知する訳にはいかないし、発表会の日ですら通知不可能かもしれないことを覚悟されたい。」旨の返答を読んだときは、複雑な気分だったし、でもまぁこのコロナ禍ではいたしかたないよね、と諦観したりもした。

 そして、個人情報保護強化を主題としたものの、結局のところ、諸悪の根源はコロナ禍なのか? との知見に行き着いたところで、この記事を終えたい。いやぁどうにか千字以内だ、自分祝!

山羊座O型動物占い象の筆者(※おそらく山羊座)が起こした過去の行動の悲喜劇その2

某(渋谷の)プラネタリウムの説明員(女性二人)から聞いた話では、

 山羊座は、

(1)おっちょこちょいであり、

(2)多くの人から愛され、

(3)お酒に強い、

 星座であるとのことである。

 

 より具体的には、星座の姿としては、上半身は山羊だが、下半身は魚(鯉)の姿をしているとのこと。

 記憶があいまいだが、何か、魚(鯉)に化けて川だか湖だかに何かをしに行ったが、山羊に戻り損ねたまま死んで星座になった旨だった(飼育員じゃないや説明員の方、過不足等があればコメントください(懇願)!)。

 思うに、このような「不格好な姿」故に(「可哀想だ」的に、それこそ美女と野獣のごとく、足りないモノを補うか(別名:対位法)のように)、愛されるのではないか、と、山羊座の筆者は勝手に思ったりもする(他の山羊座の方、適宜コメントください(お手柔らかにね!?))

 話を続ける。

 他に感じるのは、山羊座は「自分的にはいつでも真面目に真剣に一生懸命やっている(つもりな)」のに、何故か他人からは、山羊座の人間の行動を、良く言えば「ユーモアあふれる」風に、悪く言えば「思わず笑っちゃうほど滑稽」に思えてしまうのではないか、と、山羊座の筆者は以下同文(山羊座好きな方、山羊座ウォッチングが趣味の方、適宜コメントしてくだされ。)。

「お前、自分の星座を何でそんなに客観視できるんだよ!?」 という突っ込みが来る前にフォローしておくと、それは一言で言うと「ヨガ」を一生懸命やったことによりそうなる、と言えよう。どのくらい一生懸命やるかというと、自分の場合、「一日2本のレッスンを週6日で三カ月くらい続ける+その後は1日1本のレッスンを週6日で同じく三カ月くらい続ける」ことで、そうなった(何かが天から降って来るようになった)。

 但し、自分の場合、所謂「下積み」期間がそれなりにあり、かつ、「職場の厳しいしごき」等も関係していると(も)思われるのだが、それは本題との関連性が薄いので割愛せざるを得ない。

 話を戻す。

(1)の「おっちょこちょい」に関し、若い頃は(その1)に書いたように

(1-1)「良く転び」、

(1-2)「危なっかしい行動を起こし」、

(1-3)「周りをひやひやさせて」いた。

 上記のうち、大人になるにしたがって、(1-1)の要素が少しずつ無くなって行ったよふに感じている(※だが、雨や雪が降ったときの足の滑りやすさについては自分でも危なっかしいと思ふ。)。が、代わりに、以下の(1-1’)の要素が劇的(指数関数的?)に増えて行っているように思えてならない。

 (1-1’)モノを良く忘れる。

 上記の「モノ」とは、「物」すなわち物体(物理的実体、有体物)および無体物(例えば、約束事項、地理的事項、約束の時間、必要物(⇔忘れ物)、薬を飲んだか否か、「など」)のいずれも含む。

 例えば、今日は、ヨガに行くのに、

 「スマホを持参するのを忘れた(※その結果、交通機関への支払いを現金で行う必要があった)」、

 「水筒を持参するのを忘れた(※その結果、1リットル240円(←高いよオイ!)の水を2本買う必要があった(※コンビニで買いたかったが近くになかった!480円も散財した)」、

 「オイルを持っていくのを忘れた(※結果的には必要なかったが結局880円くらい散財した)」、

という体たらくだった。忘れると困るもの(例えば、財布や着替えなど)は忘れずに、「まぁ無くても問題はないかも知れないモノ」を忘れる、このギリギリのラインを狙って(?)忘れるところが自分でも何とも滑稽である。

(1-2)や(1-3)については今でも相変わらずである。そろそろ1500文字なのでこれにて終了(読者様お疲れ様でした(感謝)。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

山羊座O型で動物占い象が起こす行動の悲劇?(その1)

山羊座O型動物占い象の筆者が起こした過去の行動には、幾つかの悲劇があった。

なお、もちろん、人の性格や行動指針は、上記特性「だけ」に依存するものではない。具体的には、時代背景、その国の文化風習、価値観や宗教観、周囲(例えば家族や友人)との人間関係、教育のされかた、その時その時の気分、「など」で変わり得ることは言うまでもない(が、念のために書いておかないと、かならず文句を言いたがる輩が出て来るのだ。だっから面倒くさいのだよ、この地球世界で生きるといふ事は)。

 話を戻す。

 いつぞやに某プラネタリウムの解説員から仕入れた情報では、「山羊座」という星座は、本来おっちょこちょいな性格の星座らしい。

 おそらくそのためであろう。筆者の行動は、色々と問題を引き起こした。

 例えば、自転車がようやく自由自在に乗れるようになった小学生時代には、T字路だか十字路だかを走る(かもしれない)自動車の移動状況を全く無視してブレーキなしで突っ込み、危うく引かれそうになったことがある。

 また、昔は自転車のブレーキワイヤーが切れるなんてことはしょっちゅうあって、下り坂で勢いを付けた状態で、(生き残っている)前ブレーキだけを急に掛けたため、自転車が前方一回転して転ぶ(当時は当然ヘルメットなんてしてなかった)なんてこともあった。

 小学校だか中学校だか(確か後者)で古くなった教室の「長尺の蛍光灯」を取り換える役割を担い(押し付けられ?)、「それら」を後ろの棚に複数本立てかけて作業をしようとしたところ、何かの拍子に「それら」が滑って転倒し、全部割れてカケラが飛散して周囲も悲惨になった、なんてこともざらにあった。

 長くなってきたので、続きはまた今度。