個人情報保護強化によって我々に何の利益があったのか?

自分が子供の時代には、例えば漫画家の先生の住所などは雑誌等に堂々と掲載されていた。任意の団体(例えば○○大学○○クラブOB会)の名簿も、冊子(以下「紙面」と称する)の形式で個々人に配布されていた。

(中略)

 この個人情報保護法の施行により、例えば上記の任意の団体の紙面による名簿が無くなり、代わりにデータベース化されて個人情報の管理が管理者の手に委ねられ、最後には個人のデータが重要機密情報として、クラウドにより一元的に管理されるに至った。(中略)

 個人は、他の個人の情報に一層アクセスしにくくなり、一人一人の「孤独感」が増大して行った。一方で、ハッカー等により、個人のデータ(重要機密情報)は、ときおり流出された。流出された個人のデータ(重要機密情報)は、「どこに」流出されたのだろうか? おそらくという憶測を交えてだが、だれもが直ぐに思い浮かぶ推測事項としては、商用業者(いわゆる名簿屋さん)に売られた、ということだろうが、(中略)・・・のように、いわゆる「性悪説」に立てば、そういった事が必要となろう。だが、事実はどうだ? 「性悪」なのは金儲けを企てる業者側であって、我々個人側は「性悪」なのか?(確かに且つてはそういう輩が居ただろう、だが現在は?)。

 かくして、個人のみならず、任意の団体をも含む情報保護の余りのエスカレート振りに、個人側が「本来無用な不利益を被っていないか?」について、そろそろ考え直しても良い時期に来ているのかも知れない【し、インスタグラムやフェイスブックなどで個人レベルでは個々人(および身内や友達等)の情報を(しかも画像で)出しまくっている現状に鑑みるに、考え直す時期には未だ来ていないのかも知れない】。

 いずれにしても、某○○大学の某倶楽部の夏合宿の発表会に(超)久しぶりに参加しようとした筆者が、同倶楽部の部長(現在は「代表」と称するらしい)に尋ねたところ、「場所、期間、発表会の日、のいずれも未だ通知する訳にはいかないし、発表会の日ですら通知不可能かもしれないことを覚悟されたい。」旨の返答を読んだときは、複雑な気分だったし、でもまぁこのコロナ禍ではいたしかたないよね、と諦観したりもした。

 そして、個人情報保護強化を主題としたものの、結局のところ、諸悪の根源はコロナ禍なのか? との知見に行き着いたところで、この記事を終えたい。いやぁどうにか千字以内だ、自分祝!