スマホ嫌いと言っていられる状況では無くなった

 いわゆるガラケーを使っていた時代、具体的には今から10年以上前に、右頬側に三叉神経痛が発症した。

 医療機関東洋医学および西洋医学の両方お世話になった)からは一貫して「原因不明」と言われた。最終的には脳外科医師により、頭蓋に穴を開けて手術していただき、完治した。長年に及ぶ、思い出したくもない、あの激痛の苦しみから免れることができて、ただただ感謝しかない。

 携帯電話を使ったが故に三叉神経痛になる旨の「因果関係」が認められた裁判例が英国に存在するらしい。インターネット経由の情報であり、一応「存在するらしい」という表現で濁しておく。だが私の心情は(略)。

 そういうこともあって、ガラケーからスマートホン(以下「スマホ」)に切り替えた後も、それを使う気にはなれなかった。何か「右の頬を打たれたならば、左の頬を差し出せ」旨の格言(?)もあるようだが、筆者はそんな御人好しにはなれなかった。だって、三叉神経痛の痛みは凄かった、激痛の苦しみだったもの(汗)。

 先日、某食堂(すし屋)で、追加注文をするのに自分のスマホの操作をすることが必須である旨を言われた。これには焦った。スマホの操作方法が全く分からなかったからだ。その時は店がさほど忙しくなかったため、店主が(いわば特例として)店のスマホを使って追加注文の操作をしてくれた。感謝。

 それ以来、スマホ嫌いと言っていられる状況では無くなった。現在、家族の援助の下、スマホを含む民生機器の操作をマスターすべく、毎日それはそれは必死になって(いや、実際は「ゆるり」と)努力している。社会からドロップアウトひいては飢え死に(?)する事態は避けるべきだしね。いやぁでも、この辺が如何にも日本人的だよね、実際。いやになるね、自分の生真面目さが。

 だから最初に書いたでしょ。この世界で生きて行くのは面倒なんだってばさ。